柳心会の紹介

由来と沿革

愛洲影流継承 福岡黒田藩傳 柳生新影流兵法は上泉伊勢守秀網(後、武蔵守信網と改む)の創始による兵法である。天文年間、武神の地「鹿島」に於いて愛洲移香斎の影之流、並びに松本備前守の鹿島神流を学び、習得せし剣理剣法に自ら悟得したる兵法を加え創意工夫を重ね遂に大成、人間の煩悩を断ち切る「摩利支尊天」の振るう仏刀を奥源となし不殺修身の活人剣を以て奥義とした。後、影流に新の字を加えて「新影流」と号した。永禄十年、上泉信網は大和柳生の庄にて柳生宗巌に新影流兵法の総てを伝授後、不双の印可状を与えた。宗巌はさらに師の兵法に新意を加え柳生の剣と成し「柳生新影流Jと称した。宗巌の高弟の一人であった大野松右衛門家信( 当流三代)は兵法の認可と共に「柳生」の姓を拝受し、柳生松右衛門家信として同門の有地内蔵丞元勝(当流四代)を帯同西下し、柳生家臣として長州の荻藩にて兵法指南役をした後、福岡(黒田)藩に赴き西国柳生新影流の道を開いた。当流第十二代、三宅三右衛門継信より昭和十七年、蒲池源三郎鎮浪が第十三代宗家を継承した。蒲池源三郎鎮浪は昭和十七年から十三代宗家として五十六年間に渡り武道一筋に修練し、晩年は影流継承者としても後進の指導につとめた。その後、平成九年に長岡源十部鎮廣が第十四代宗家を継承し現在にいたっている

柳心会はこの伝承され続けた歴史的貴重な遺産を次世代に正確に残すべく 日々努力、稽古に励んでおります。

 

柳生新影流柳心会歴代宗家一覧

  歴代宗家名 剣位 抄伝
源流 愛洲移香斎(日向守

松本備前守 政信
影(陰流

鹿島神流
1452生 1538年没、37歳の時に鵜戸神宮の石龕にこもり奥義を悟り、陰流と称したと伝わる

1467生   1524年没、鹿島神宮の神官、香取神宮で刀槍の妙術を会得。中興刀槍の始祖と言われる。塚原卜伝、上泉伊勢守の師 。
初代 上泉伊勢守信綱(秀綱) 新影流 1508?生、1577年?没 愛洲移香斎に流の剣を学び新影流を諸国に広めた。柳生の里に暫く滞在、石舟斎の師、柳生新影流の源流となる。
2代 柳生但馬
(平宗巌・石舟斎)
柳生新影流 1527生 1606年没 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。上泉伊勢守に新影流を学ぶ。無刀取りの極意剣を創る、兵法者。後に徳川家康の重臣となった柳生宗矩の父
3代 柳生(大野)
松右衛門家信
柳生新影流 生没不明、石舟斎の高弟。上泉伊勢守の 弟 子で石舟斎の元に残った人物とも伝わるが定かではない、柳生の姓を与えられ兵法指南者として長州藩 、 福岡藩の柳生新影流の祖となる萩藩から福岡へ、その後の消息、歴史詳細は不明、今後の研究が待たれる。
4代 有地内蔵丞元勝(藤原元勝) 柳生新影流 1600生 ?没 大野松右衛門家信と萩藩から同行し福岡藩で新影流を開く。松右衛門と共に福岡藩、柳生新影流の祖、一時、大野松右衛門の養子となり再び有地家に復帰したと伝わるが福岡藩での詳細は不明、今後の研究が待たれる
5代 有地平右衛門 元貞(藤原元貞 柳生新影流 1633生 1699年没 有地元勝の後継者子息 の 後見人として萩より移籍とも伝わる。柳生新影流、最初の福岡藩の「家業・剣術」役と想定されるが福岡藩での記録が不明。今後の研究が待たれる
6代 三宅源八郎
重栄
柳生新影流 ?生 1737?没 有地元貞に剣を学び、福岡藩三宅新影流の祖となる、『黒田家譜』には藩主の御前で正徳3年(1713)4月20日に始まり享保年間に4回、門弟と共に演武の記載あり、最後は天文元年8月17日の演武記録に「父源八は病で出ず、三宅大九郎が代演」。源八はこの頃に亡くなったと想定される。藩主御前、数多い演武は柳生新影流が福岡藩での代表剣術であったことを示している。明和6年の家譜の記録によると初代長政の神祠に三宅家が長政時の忠臣と厳選された138名に名を連ねており古参藩士であることが判る。
7代 三宅三右衛門尉栄範 福岡藩
家業剣術
?生 1774?年没 『黒田家譜』の寛保3年(1743)閏4月20日の記録に5代藩主宣政の御前で筆頭剣術を披露したとある、同様に1747、1753、1755、1760、1763年にも門弟と共に演武。1755年の記録には「家業の面々・剣術」と記され藩内での職位が明記されている
8代 三宅太三右衛門尉栄貞 (旧姓 小金丸) 福岡藩家業剣術 1746生 1813年没、『黒田家譜』の記録では天明8年(1788)藩主斎隆の剣術の師となる。寛政六年(1794)3月14日藩主の前で「文武の芸術」を披露。この頃、剣術が芸術と表現されている。興味深い。1803年4月3日、再び藩主黒田斉清の剣術師となる。福岡藩の信頼が厚かったと思える。栄貞は小金丸家からの養子、先代の実子源六が幼少の為、新影流宗家を継承したと伝わる。
9代 三宅太三左衛門栄堅 福岡藩
家業剣術
?生 1835年没 『黒田家譜』には記録が見当たらないが「安見家三代記」によると文化10年(1813)10月17日、「御殿稽古へ出方」とある。藩主の剣術師範と知る。同年藩主御前で剣術披露、又、同年「御上へ剣術御免状皆伝差しあげ」とあり興味深い。天保元年(1830)8月13日には「勤功被賞で100石拝領」、三宅家養子(栄貞)の実子が独立知行藩士に昇格、藩主の高い信頼を知る。天保6年1月21日「葬式で極楽寺へ」とあり埋葬寺も判明
10代 三宅清右衛門源治 福岡藩
家業剣術
生没不明、「黒田家譜」には清右衛門の名は見当たらない。家譜に慶応元年2月12日、13日に「大宰府転座・5卿随従名許」の上位に「三宅左近」の名が記録。幕末史上有名な5卿転座である。大宰府へ5藩の「共同守衛参集」40名に明記、中岡慎太郎の名も観える。慶応3年12月19日、「5卿上洛・護衛名元、大阪着」29名にも明記、同行者に薩摩藩の示現流,の大山格之助の名もあり重要な護衛任務、幕末の緊迫。「三宅左近」は福岡藩流の剣客第一人者としての三宅清右衛門源治以外には該当しないのでは。今後の研究が待たれる
11代 三宅清左衛門源七 柳生新影流 生没不明、他藩に先駆けて明治政府の懲罰を受け廃藩置県となった福岡藩。剣術どころではない苦難の時代に新影流の伝統を継承した宗家であるが詳細は不明。今後の研究が待たれる
12代 三宅三右衛門継信(柳心斎) 柳生新影流 ?生 1942年、昭和17年没 新影流の業を習得する為の稽古用の基本業を新たに創設したと伝わる。道半ば、結核で早世、写真が現存
13代 蒲池源三郎 鎮浪(藤原 則) 柳生新影流 1913生 1999没 室町時代に筑後地方を治めていた蒲池家の末裔である。昭和17年に柳生新影流を継承。間もなく大東亜戦争で召集され新影流消滅の危機に直面した。戦後復員し兵法伝統の復活に貢献された。平成6年には平沢家より愛洲影流継承の認可を得ている。
14代 長岡源十郎 鎮廣(長岡幸廣) 柳生新影流 1949生 現在の宗家 詳しくは「宗家・指導者紹介」のページを参照。
  「歴代宗家」「柳生新影流の探究」は今後も継続加筆正予定 参考文献 宗家に伝わる口伝、資料他、「黒田家譜」1~7巻、「福岡藩分限帳集成」「黒田家譜・貝原益軒著」「史料柳生新陰流上下」「黒田家譜索引・家譜年表」「刀と剣道9巻」「古地図の中の福岡・博多」「剣客の生涯」「柳生一族・新陰流の剣豪たち」「人物日本剣豪伝」
「最新日本史」「安見家三代記」「近世福岡博多史料」「萩藩分限帳」「竹田春庵日記」「定本・大和柳生一族」「福岡御城下絵図」「福岡城下屋敷全図」「福博古図」

福岡黒田藩傳柳生新影流兵法の伝統を受け継いだ柳心会の段位

初目録 目録 後目録 奥入 初傳 中傳 初免許 奥傳 免許 免許皆伝、十段位。
・無料体験の受付はお問い合わせページを参照ください